2009年6月24日水曜日

世知原(せちばる)線











<中倉万次郎翁胸像>



世知原では明治初期から石炭の採掘が行われていた。


そこに大手の飯野松浦炭鉱が入り、企業化が進んだ。その石炭を運び出すために鉄道が佐々まで炭鉱の手で引かれた。これも軽便鉄道ではあるが、機関車は佐世保軽便鉄道のものより少し大きかったらしい。世知原は標高が高く(約300メートル)馬力が必要だったためだろう。

やがて、佐世保鉄道に買収されて客車も1両だけ連結して走った。佐世保鉄道の初代社長(国鉄に買収されたため2代目はいない)中倉万次郎翁が世知原出身ということも関係あるのだろう。

翁を顕彰した写真の胸像は現在、たびら平戸口駅近くの平戸瀬戸を見下ろす公園に昭和37年に再建されたものである。銘板の説明書きによると、当時中央政界の大物で新幹線の岐阜羽島駅を強引に作ったことで有名な大野伴朴氏が発起人代表となっている。

この万次郎翁の像は筆者が高校生の頃、汽車の待ち時間によく行っていた公園で、当時は太平洋戦争の際、銅像など金属類は供出しており、ここもその例に漏れず石かコンクリートの低い台座だけしかなかった。それに比べて50年ぶりに訪れた公園の銅像は見上げるように高い立派な大理石の上にのせられていた。しかし、この公園は最近では訪れる人も少なく周りの木や草は生い茂り翁は何かさびしそうに見えた。

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2 件のコメント:

  1. 世知原駅の駅名票が、歴史記念館(正式な名前は失念)に保存されています。
    以前(昭和時代)には、世知原町役場に行くと、世知原線廃線のときのスナップ写真が残されていて拝見したものですが、いまも果たしてあるかどうか・・・

    こちらのサイトに、昔の世知原駅の写真があります。
    ご参考までに。
    http://www5b.biglobe.ne.jp/~aibarbar/77316558/

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  2. ありがとうございました
    古い写真は参考になりますね。行って山を確認すれば良くわかりそうです
    佐世保市と合併して世知原支所はがらんとして暇そうですからいろいろ話したり見せてもらうことにします。

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