<臼の浦へ堀切りの線路跡>
臼の浦線の興亡は炭鉱・石炭の興亡と同じものがある。
佐世保港は軍港だから、エネルギー源の石炭は柚木炭鉱から相浦港へ運ばれ船積みされていた。
相浦港は狭く貯炭場となるスペースもあまりなかった。ここに代わって臼の浦港が石炭積み出し港となった。先ず始めは柚木から軽便鉄道はまっすぐに臼の浦港へ入り広い貯炭場へ山積みし全国へ船出した。
その後、北松炭田の石炭が優秀なことが認識され、北松各地の石炭は佐々駅からまっすぐ臼の浦港へ運ばれる国鉄臼の浦線は付け替えが行われた。
この線路跡は今もはっきりと佐々駅から佐々川鉄橋まで続いている。
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