写真上から
1<神田駅跡付近>
2<踏切跡付近>
3<軽便鉄道の橋脚跡>
4<ホッパー跡を改造した民家>
この辺りの線路は軽便のときは松浦炭鉱の降炭専用鉄道を買収して 客車も走らしたが、後に国鉄が普通鉄道を敷設したとき経路が大幅に変わった。
川崎商店(たばこ屋)前から山手へ約200メートル山手へ行ったところに神田駅はあった。なぜか神田炭鉱の火薬貯蔵庫の一部と言われるコンクリート塊があるところの付近である。
この駅には駅舎はなくホームがあっただけである。したがって、出征兵士の見送りは駅ではなく、川崎商店付近の踏み切りに整列して見送ったそうです。
ここから200メートル下手(佐々より)に軽便鉄道の遺構として赤レンガの橋脚が藪の中にわずかに残っている。
現在の神田駅近くに江里(えり)炭鉱が国鉄松浦線の貨車に石炭を積み込んでいたホッパー跡を民家として再利用されているのは立派だ。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿