この駅は 昭和14年に平戸口駅からここまで延伸されたときに「潜竜駅」として作られました。その駅舎は昭和37年の豪雨でボタ山が流れ出してきて押しつぶされ、跡形もなくなくなりその後200~300メートル佐世保寄りに新たに建てられました。
そのせいか今度は鉄筋コンクリートの奇妙な形をした駅となりました(2枚目写真)。松浦鉄道では鉄筋コンクリートはここだけでしょう。
潜竜駅が出来た後、佐世保から隣駅の吉井駅までは国鉄線路は来ていたのに終戦直前の昭和20年3月までは、この2キロばかりは歩いて汽車を乗り継ぐしか方法がありませんでした。というのもこの間には断層があり当時の技術と、資材不足では鉄橋を架けるのが困難だったようです。
(写真3枚目は潜竜ヶ滝)
水量も豊富で真夏でも涼しさを感じることが出来ます。
滝壷のそばに句碑があります(写真4枚目)。
瀧の威に 打たれしみじみ 合掌す
森永 杉洞
ホトトギス句会が炭鉱時代にこの地にもあり、その時の人たちが、先生の句碑を建てたそうです。
(5枚目写真は潜竜炭鉱跡記念碑)
ここには潜竜炭鉱の坑口があったところです。
住友鉱山の主力炭鉱で北松一帯では最大手でした。したがって金回りも良かったらしく、街には活気がみなぎり、道路には所狭しと露店が店開きして繁盛していたし、当時パチンコは、はやってなかったけど、ビンゴゲーム(もちろん賭けていた)の番号をがなり立てるお姉さんの声が店の外まで響いていました。
後になって近くのタバコ屋さんで聞いた話では、この坑口付近のタバコ屋は九州1の売り上げをして、専売公社総裁表彰を何回ももらっていたそうです。
現在では、炭鉱の形跡をとどめるものはあまりありませんが、炭鉱跡地にできたものとしては、パチンコ屋にあるスロットのコイン回収機の工場は景気よさそうです。
炭鉱跡地の記念碑は草に覆われて、芭蕉の句を思い出さずにはおれません。
夏草や つわもの(兵)どもが 夢の跡
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