昭和8年 に佐世保鉄道の駅として貨物および旅客用の軽便鉄道が営業を始めていました。
(2枚目写真は駅の線路脇に最近作られた詩碑)
それを佐世保鉄道が買収して旅客も扱うようになったそうです。
ところが、前回述べたように断層に阻まれて江迎・潜竜方面へ線路を延伸することが出来ずにいました。
第二次戦争末期になって、戦争遂行のためのエネルギー確保の大号令のもと鉄道工兵隊の動員もあり、金属不足の中で竹を骨組みにして
鉄道用の橋をかけたといわれています。この橋はこの駅の近くにあります。
昭和28年小学校6年のとき、近くに住んでいて担任の先生からこの橋の骨組みは「竹」だと聞いたし、近所の人も話していましたから竹が使われていると私は思います。
(4枚目写真は直谷城跡)
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「竹筋コンクリートの鉄橋」とは世にも不思議な物語ですね。
返信削除ここに調査に来たのは、たしか工学院大学の工学部と言っていたようです。小さいドリルで穴をあけて調査していました。使用中の橋ですから無理は出来ずにあきらめたようです。
返信削除JR九州のミニコミ誌で筑豊にも1か所あると書いてありました。私が最初に聞いたのがこの橋が架かって10年後ぐらいの時ですから信ぴょう性はあるのではないでしょうか。