<現在の佐々(さざ)駅>
佐々は昭和16年に町制が施行されて佐々町となりましたが、昭和6年に軽便鉄道が敷設されたとき、また、これが買収されて国鉄となった昭和11年はまだ佐々村でした。その頃を知る人は、村(町)で国鉄の駅が7つもあるのは佐々だけだとたいそう自慢にしていました。
写真の駅は三代目の佐々駅です。この建物は平成2年に佐々町が約3000万円かけて建設しました。間伐材を利用して作られたログハウスと言うことで当時評判になり、デザインの奇抜さと資源の有効利用ということで全国的な賞を貰いました。
その割には、この駅の使い勝手は悪く、無人駅ではないけど利用者のマナーの悪さもあって二階は封鎖されて使えなくなり、トイレもわかりにくい所にあって落書きや壁を壊されたりしました。現在このトイレは封鎖され、外に立派な公衆トイレが佐々町の予算で建設されました。
平成の大合併では佐々町はどことも合併せず、人口1万3千人ばかりの小さな町が今まで来たのは町に財政的に余裕があるということでしょうか。
ブログの更新が今回大変遅れてしまいました。軽便鉄道の駅も進んできて、わが町に入りました。そこで駅の写真を青空をバックのものにしたかったので晴天を待ったために遅くなりました。これから順次佐々の7駅を紹介します。
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なかなか小じゃれた立派な佐々駅ですね。2階が荒廃しているとか・・・そこそこ観光地で、みやげ物コーナーでも作らない限り2階まで上がる人っていないですよね。惜しい感じ・・・
返信削除ところで、佐々って「さざ」と読むんですね。「さっさ」かと思ってました・・・こちらでは、人の姓に同じ字で「さっさ」と読ませるようです・・・
では・・・
確かに佐々(さっさ)成政はどんな人物かは知らないけど武将として有名ですね。
返信削除春の選抜優勝の清峰高校、名古屋国際女子駅伝優勝の藤永佳子選手、そして床屋の佐藤浩司君も全国大会で優勝しました。
みんな佐々町の人ですよ。
しかもそのうち2人はうちの町内会です。
町内会長は誰でしょう。
来月辺り髪が伸びたら、日本1の床屋に刈ってもらいます。
佐々には機関区までありましたね。
返信削除駅舎の位置も反対側でしたし。
すっかりかわってしまいました。
そういえば、潜竜駅も移転したと聞いたことがあります。
ペンさん良くご存知ですね
返信削除佐々機関区は独立したものがありました。転車台や機関車の格納庫も立派なのがありました。
車掌区、保線区、建築区、客貨車区、通信区、電力区などもありましたがこれらは早岐の分区です。診療所や配給所もありましたよ。配給所は昭和50年代までやっていました。
佐々の町そのものが佐々川よりの「古川」を中心としたものから、「里」を中心にした町になったため、駅の玄関も表裏逆転しました。
潜竜駅はボタ山が崩れて埋まってしまい少し移動して現在地に建てなおされました。