昭和6年6月に、実盛谷から臼の浦まで軽便鉄道が開通した。そのときの実盛谷駅は以前焼却場跡の写真を付けて示した実盛谷駅跡のところである。
その後、昭和18年8月に、北佐世保駅から現在の相浦駅まで国鉄線路が開通した。そのとき、佐々からは軽便鉄道しかなかったので、この写真の辺りに実盛谷駅を移転して作り、機関車C-11 が引く普通列車に乗客は乗り換えていた。当時、臼の浦駅の駅員として勤務していた山下さんは、「助勤」として、この実盛谷駅にも応援に来たことがあるそうです。
ここは現在、国道204号線本山トンネルから佐世保側に架かる跨線橋と松浦鉄道が交差するところである。駅舎とホームは写真左側にあり、右側に実盛谷トンネルに続く線路があったと農地と荒地で今も区別が出来る。軽便から普通列車に乗り換えるには低いところから高いところへ(線路自体も軽便はかなり低いところを走っていたので)大きな荷物の移動などはかなり難儀をしたと、身振りを交えて山下さんは話してくれた。
しかし、それも昭和20年4月には国鉄松浦線が全線開通し、軽便鉄道が走ることはなくなった。
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