< 相浦駅付近 >
相浦駅は現在とほぼ同じ所にあった。
線路は蛭子町を通り相浦西小学校横の堀切はトンネルであった。戦時中このトンネルを使わなくなったとき軍の倉庫として使われた。終戦後、その物資は近くの住民がみな持ち出したとのことである。坂を下ったあと相浦川右岸に沿って上る。
< トンネルだった掘り切り >
現在県警のアパートが建っているところに、山口駅が作られたが後に上相浦駅となる。
< 山口駅跡 (のち上相浦駅) >
写真背後の美しい山は佐世保富士のひとつ愛宕山である。
< 踏み切り >
大坪歯科医院のところの四差路には踏切があった。汽車が通るときは遮断機を下ろして笛を吹いて通行人に知らせていた。さらに川沿いにアスファルト舗装された線路跡の細い道路が続く。自動車も通れるが離合できる場所はほとんどない。舗装が途切れたところに焼却場跡の建物が残っている。この辺りが佐々方面への分岐点と思われる。そこから山手へ入って行く谷が実盛谷である。今、西九州自動車道の建設がトンネルの真上を工事中である。トンネルの入り口は土砂で塞がれて、はるか高いところを通る高速道路の斜面になっている。
後に国鉄が松浦線を現在の中里―上相浦―相浦と新設したとき、実盛谷駅は乗換駅となった。その地点は国道204号線本山トンネルから佐世保方面への跨線橋とM R線路が交差する地点と思われる。元国鉄職員の山下昭二氏(昭和2年生まれ)と線路脇に立ったら駅舎跡はここで軽便の線路がここだと言うように周りの農地とはっきり区別できた。
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ブログ開設おめでとう。やったね・・・
返信削除がんばって更新してくださいよ。
これから毎日のぞきます。
それにしても、お互い娘の力を借りにゃあ出来ないなんて、ちょっと悲しい(?)けど、ま、これも現実、仕方ないか・・・
では今後に期待を込めて・・・
KENさんコメントありがとう
返信削除自費出版でもやってみようかと思っていたけど
ブログで公開することで安上がりできそうです
少しづつ書き続けてみますが
明日は魚釣りに行くことになったのでどうなることやら・・・
大船越さん
返信削除子供のころ御地近くで過ごしましたが「佐世保軽便鉄道」の存在を知りませんでした。私が知っているのは国鉄の「松浦線」だけでした。変わり行く故郷。当時を知る人も次第に居なくなって行く今、少しでも多くの史実を明らかにして書き残して下さい。期待しています。
TUKASAさん
返信削除読んでいただきありがとうございました。
立ち上げたばかりで四苦八苦しています
昨日まではすんなりログインできていたのに今日はそれが出来ません
もたもたしていますがご勘弁のほどを
はじめまして。
返信削除もう実盛谷のトンネル跡に行くことはできなくなってしまっているのでしょうか。
この週末に真申側からアプローチしたいと思っていたので、びっくりしています。
ぺんさんへ
返信削除今日19日午前中真申側からトンネルまで行って来ました
17日の雨で長靴を履いていったほうがベターでしょう
実盛谷駅側は完全に塞がっていますが、真申側はまだ大丈夫です。通り抜けが出来ないのが残念です。
大船越さま
返信削除ありがとうございます。
そのうち真申側も埋まってしまうのでしょうね。
早めに訪問してみます。
ところで、世知原線祝橋駅跡は行かれましたか。
駅舎がそのまま工具置き場になっていて、駅員の風呂場跡やホームも残っていますが、老朽化が相当進んでいます。
撮影のご予定がありましたらぜひお早めに。
ペンさん ありがとうございます
返信削除写真撮りには車も使うけど自転車(電動アシスト)で行くことが多いです。世知原線や柚木線跡は自転車で行くのに都合がいいですね。駅としては祝橋は最後の前になりますね。