2009年7月16日木曜日

こぼれ話8

(8)替え歌(鉄道唱歌で)


臼の浦まで軽便鉄道が開通したときは、小佐々町の人はたいそう喜んで地区住民総出の旗行列まであったそうです。開通から1週間無料で乗れたという人もおれば、3日とも1日だったという人もいる。今となっては分からない。臼の浦の人が作ったといわれる替え歌を紹介する。


 1 汽笛一声上佐世保

   はやわが汽車は離れたり

   桜の名所山の田を

   過ぎれば次は左石



 2 皆瀬中里夢の間に

   愛宕の裾を突き抜いて

   実盛谷のトンネルを

   通れば次は真申港



 3 眺めも尽きぬ佐々の浦

   鉄橋渡れば黒石よ

   百年前に刻まれし

   世にも名高い大悲観



 4 間もなく終点臼の浦

   連絡線は前列車

   渡るにやすき袋が浦

 # 上がるは喜久屋か寿か



最後の行(4番の#のところ)は昭和56年発行の「佐々町郷土誌」では「敢えて詮議の必要もあるまい」と伏字になっている。

たぶん編集委員長の宮原九一郎さんが気を使ったと思うし、旧松浦線を偲ぶ会の資料でもこの1行は空白になっている。そこで敢えて筆者がその1行を創作してみた。


喜久屋(きくや)と寿(ことぶき)は臼の浦駅のすぐ近くにあった特飲店である。したがって昭和33年には廃業している。寿は跡継ぎがなかったこともあり跡形も残っていないが、喜久屋は当時の孫に当たるものが瀬渡し業と釣り人相手の宿を経営している。


<現在の袋が浦>


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