2009年9月14日月曜日

鷹島口駅

<たかしまぐち駅>



前々回の福島口駅が浦ノ崎港の桟橋のところに作られたように、鷹島へのフェリー桟橋がある今福港のところにこの鷹島口駅は平成2年に新設されました。
確かに桟橋から最短距離の線路のところに駅は作られています。しかし、駅に行くためには、民家の間の狭い坂道を登っていかなければなりません。車で行くことはできません。

<フェリーに乗用車が乗り込んでいる桟橋



この桟橋から 鷹島へのフェリーが運航されています。今年4月に鷹島肥前大橋が開通しました。普通なら橋が架かればフェリーはなくなるはずですが、減便にはなったけど、まだ運行されています。9月からはさらに便数は減らされるとのことです。


フェリーは25分で鷹島に着きます。途中飛島に立ち寄ったらもう少し時間はかかりますが、橋が架かっている佐賀県唐津市肥前町まで車で走れば1時間以上はかかります。だからフェリーはなくならないのでしょう。

しかし、乗船した船は乗用車ばかり数台で大型トラックは1台もありませんでした。以前は、大型車が多くて早く行って並んでいないと積み残しになることもありました。

<鷹島肥前大橋>

この橋は3月には出来上がっていたけど4月になってから開通させました。橋が架かれば離島ではなくなり、離島振興法の適用を受けられなくなるので、4月開通で1年余分にもらおうとのことだそうです。

この橋には歩道もあり歩くこともできます。なんと言っても車の通行料金が無料というのがすばらしいものです。今は民主党が総選挙に勝って高速道路を無料にするといっているので珍しくありませんが、長崎県では長崎市にある女神大橋(もちろん有料の橋)に次いで2番目に大きな橋(1251メートル)です。
橋が架かってからは島の中の交通事情が一変しました。県外ナンバーの車も含めて狭い駐車場はどこも平日でもあふれています。
鷹島の鷹は英語でホークということで、プロ野球ソフトバンクホークスとタイアップした催しをしたり、王監督(当時)の揮毫による記念碑などもあります。


<今福港の突堤は釣堀>



今福の港から終戦間もない昭和23年、少しばかりの家財道具と一緒に家族4人が小さな漁船に乗り、父の就職先である飛島に渡ったのが小学1年の秋でした。2年になった春には今福に戻ってきたので、この突堤では良く遊びました。当時より突堤は延長されていました。夏休みで大勢魚釣りに夢中になっていました。釣れるのは本当に小さいものばかりでした。



<今福から見た鷹島>






<松浦水軍の兜がある道路公園>

敵の大将がこんなのをかぶっていたら、那須与一ならずとも打ち落としたくなるでしょうね


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2009年9月12日土曜日

今福駅

<いまぶく駅>

有田から20番目の駅が今福駅でここからは長崎県になります。
駅前はロータリーのような広場みたいになっていて、松浦市のコミュニティーバス停にもなっています。しかし、いまどき全く舗装がされていなくて、工事中でもないのに土がむき出しのままになっているのは非常に珍しく感じました。そのバス停の次の停留所が「人柱」となっているのにはまたびっくりさせられました。

駅から少し市街地の方へ行ったところのお宮に「人柱」のいわれが詳しく記されています。海岸に堤防を作り干拓工事の際、言い出しっぺが犠牲になって人柱になったいきさつです。
子供の頃から「父は丹後の人柱」というくだりは良く覚えていて、肥前の地なのになぜ丹後というのだろうと不思議に思ってはいたけど、誰にも聞かず、調べもしなかったのが今回の取材でやっと分かりました。


今福は松浦党の発祥の地で梶谷城がそもそもの始まりということです。そこで松浦丹後守を名乗っています。京都から来たということになっています。城跡は公園として整備されていますが本家の今福より、分家の平戸がよほど立派です。





私事で恐縮ですが、小学校の2年~3年のとき今福小学校に通っていました。今では写真のように立派な校舎がありますが、終戦間もない頃だったので教室が極端に不足していたのでしょう。2部授業で午前と午後に別れて半日づつ登校していました。午後の登校をしていたら午前の友達が帰ってきているので、一緒に帰ってきたりしたものでした。

なぜだかこの学校のときの学芸会で「村の渡しの船頭さん」を踊りました。「・・・今年60のお爺さん、歳はとってもお舟を漕ぐときは、元気いっぱい櫓がしなる・・・」というところ既にその年代を過ぎた今、気になりますが、当時の60歳はそんなものではなかったでしょうか。

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2009年9月10日木曜日

福島口駅

<ふくしまぐち駅>




有田駅からこの福島口駅までが佐賀県です。

上の写真、駅名標中央下の赤い花は福島の花「椿」です。例年3月の第1日曜日に椿祭りが行われています。



上の写真は向かい側に福島(白いLPGのタンクがあるところ)が見えている桟橋です。小さいけど係留されている船が渡し舟です。

松浦鉄道になって2年後(平成2年)にこの福島口駅は作られました。

1967年(昭和42年)には福島大橋が架かりすでに離島ではなくなっています。この橋は伊万里市との間に架かっています。現在、合併して福島町は松浦市になりました。行政区域は長崎県です。橋も桟橋も佐賀県とつながっているけど、高校生は長崎県の学校へかなり不便な思いをして通学しています。道州制が早く引かれたら福島にとっては便利になることでしょう。




取材は電動アシストの自転車で行ったけど、バッテリーが切れかけたので、やってきた気動車に自転車を乗せて帰りました。朝の通学時間帯以外であれば切符を持っていれば無料で自転車を乗せることができます。




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2009年9月8日火曜日

浦ノ崎駅

<うらのさき駅>




この駅の駅名標は国鉄時代の木枠みたいです。

伊万里を出発した気動車は浦ノ崎の少し前でトンネルに入る。トンネルを抜けると右手は海岸であるけど、そこには海の眺めをさえぎるようにコンクリートの廃墟が蔦やかずらに幾重にも巻かれてたたずんでいます(2枚目の写真)。


ここは太平洋戦争のとき日本軍の軍艦を作っていた川南(かわなみ)造船所の跡だそうです。後のほうでは、魚雷や魚雷艇を作っていたとも言われています。


私の最初の職場の先輩に松浦から伊万里高校に戦時中通学していた人がいて、当時この辺りを列車が通るときは、海側の窓は全部ブラインド(当時は木製の鎧戸でした)を降ろさせられていたということでした。いかにも旧軍の考えそうなことですね。


戦後の浦ノ崎駅は桜の名所として有名になりました。いつごろ植えられたものか知りませんが、満開の桜の中を気動車が走る姿は絵になりますね。佐賀県の桜の名所のひとつに数えられています。





<満開の桜の中、浦ノ崎駅を出発>







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2009年9月6日日曜日

波瀬駅

<はぜ駅>



松浦鉄道・西九州線となって3年後に新設された駅です。したがって、比較的直線区間の平らな何もない狭いスペースに駅は作られました。この駅での気動車の離合はできません。

1日の平均乗降客18人と全線中最も少ない駅です

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2009年9月4日金曜日

久原駅

<くばら駅>




昭和5年10月1日にこの駅は新設されました。

したがってホームも2面あり、上下2線すれ違うことができる駅になっています。

この付近は伊万里湾の出口に近いところで、埋め立ても進んで広い埠頭が建設されました。久原埠頭と呼ばれています。

向かい側にある名村造船所に行くために伊万里湾大橋が建設されています。

この埠頭は輸入材木の集積地と聞いていました。確かに材木はあちこちによく見かけます。

10年(?)ほど前に通りかかったとき、北朝鮮の国旗が描かれた煙突の貨物船が丸太を積んで入港していました。

その後、拉致事件が報道されて、北朝鮮からの船舶は入港できなくなって全く見ることはできません。あのとき写真を撮っておけばよかったと残念です。

広い埠頭の敷地に倉庫のような建物は増えてきましたがまだ空き地も目立ちます。

立派な道も交通は少なく、税金の使い道として適当であったのだろうかと考えさせられます。


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2009年9月2日水曜日

鳴石駅

<なるいし駅>





第三セクター松浦第鉄道になって2年後にこの駅は新設されました。


近くの伊万里湾が埋め立てられて埠頭が建設されました。そこからは伊万里湾大橋も架けられました。

しかし、まだ十分には土地も道路も使用されているとは言いがたいようです。



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