2009年9月12日土曜日

今福駅

<いまぶく駅>

有田から20番目の駅が今福駅でここからは長崎県になります。
駅前はロータリーのような広場みたいになっていて、松浦市のコミュニティーバス停にもなっています。しかし、いまどき全く舗装がされていなくて、工事中でもないのに土がむき出しのままになっているのは非常に珍しく感じました。そのバス停の次の停留所が「人柱」となっているのにはまたびっくりさせられました。

駅から少し市街地の方へ行ったところのお宮に「人柱」のいわれが詳しく記されています。海岸に堤防を作り干拓工事の際、言い出しっぺが犠牲になって人柱になったいきさつです。
子供の頃から「父は丹後の人柱」というくだりは良く覚えていて、肥前の地なのになぜ丹後というのだろうと不思議に思ってはいたけど、誰にも聞かず、調べもしなかったのが今回の取材でやっと分かりました。


今福は松浦党の発祥の地で梶谷城がそもそもの始まりということです。そこで松浦丹後守を名乗っています。京都から来たということになっています。城跡は公園として整備されていますが本家の今福より、分家の平戸がよほど立派です。





私事で恐縮ですが、小学校の2年~3年のとき今福小学校に通っていました。今では写真のように立派な校舎がありますが、終戦間もない頃だったので教室が極端に不足していたのでしょう。2部授業で午前と午後に別れて半日づつ登校していました。午後の登校をしていたら午前の友達が帰ってきているので、一緒に帰ってきたりしたものでした。

なぜだかこの学校のときの学芸会で「村の渡しの船頭さん」を踊りました。「・・・今年60のお爺さん、歳はとってもお舟を漕ぐときは、元気いっぱい櫓がしなる・・・」というところ既にその年代を過ぎた今、気になりますが、当時の60歳はそんなものではなかったでしょうか。

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2 件のコメント:

  1. 松浦鉄道めぐりを見てなつかしき昔を思い出しました。新しい駅も出来、風景も変わったように思われます、機会を見て戻って見たいと思います。

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  2. 懐かしく感じていただき、ありがとうございます
    私も今福を車で通っても懐かしさをいつも感じます

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