大正9年に佐世保軽便鉄道の「大野駅」として新設されてから佐世保市北部の中心地として賑ってきました。(駅名は左石と改名)
炭鉱が操業していたころは柚木線の分岐駅として引き込み線も数多くあり、広い構内を誇っていました。
現在は貨物の取り扱いはなくなりましたが、県立の工業高校と戦後新設されて今では進学校となった普通高校の2校が近くにあり、朝夕の通学時間帯にはかなり込み合っています。
(5枚目の写真)は左石の地名のもととなった石と言われています。
この道路は江戸時代参勤交代にも使われた平戸街道とか平戸往還ともいわれるものですが、今は抜け道として車は通っています。
平戸を出発した行列が左手にこの石を見て通ったということです。道路が拡幅されて石はずいぶん小さくなり雑草まで生えていますが当時はかなり大きかったらしいです。
ところが今年の7月の豪雨により右側の岩山が崩れてこの道路が不通になりました。もともと抜け道としてしか機能していなかったのですから道路の不通はどうということはなかったのですが、ここに佐世保北部方面の上水道本管が通っていたものですから大変でした。24時間体制で復旧工事が行われましたが、丸4日間数万世帯が断水で不便な思いをしました。
佐世保は十数年前渇水で断水がありましたが、雨が降り過ぎても断水になるという水には恵まれないところのようです。
写真をよく見てください。車の後ろの石は今回のがけ崩れで落ちてきた石です。いわゆる左石の石より数倍は大きいものです。となれば、今度は「右石」と地名を変えなければならないのではないでしょうか。
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