月刊誌「虹」を読んだ読者から井手先生に寄せられた手紙を見せていただいたのでそれを紹介します。
日付は昭和61年だから20年以上前のことです。元機関手の岡崎勇さんからのものです。軽便鉄道が国鉄に買収されて解散記念誌が出されたときには機関助手として名簿に記載されていて、出身地は佐賀県の相知村(現唐津市)となっています。
昭和9年から国鉄になる11年までの3年間の機関助手としての勤務状況が述べられています。佐々ー上佐世保間を1日6往復(片道約1時間)していたそうです。そして、乗務時間が1日平均14時間39分だったので、1年間で5347時間になるとのことです。機関助手は別名「罐焚き(かまたき)」といわれていたのですから劣悪の環境での重労働だったことは、容易に想像できます。
そしてその間休んだことが1日もなかったというのですから驚きです。公務員の勤務時間を計算して年間2000時間になるので、その265%労働時間になると書かれています。この3年間の死闘を世間に発表してから死にたいと思って新聞社やNHKに連絡しても何の反応もありません。憤りを感じているが、いつの日かこの件が活字になると信じます。と結んであります。
国鉄になって勤務時間は改善され「親方日の丸」の時代になっていったのでしょう。
近所のスーパーマーケットの前を歩いていたら、朝9:00~夜10:00と書いてあり、あさ7時には何人も仕事をしています。(名ばかり?)店長の勤務時間はどうなっているだろうかと気になりました。
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