戦後の職名、呼び名は「機関士」であるが、軽便鉄道の職名には全て「○○手」となっているので、それに従うことにする。
後に国鉄の機関士をした山田さん(上写真)は軽便の最後ごろは若くて、まだ機関助手だった。助手の仕事はとにかく石炭を燃やすことで、上り坂にかかると懸命に石炭をくべていた。それにもかかわらず、登坂力が弱ったのを感じた機関手は助手に「客車を見て来い、石炭は俺がくべとく」と、言われた山田さんが客車に行くと学生たちはシーンと静まり返っていたずらなどするものはいない。以後上り坂も順調に上ってしまったそうです。
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