2009年7月24日金曜日

昔の写真や資料2

(2)井手一郎 先生(診察室で)

相浦港のところで内科医院を開業しておられる井手先生に佐世保軽便鉄道についてお話をうかがうことができた。

先生は旧制佐世保中学のとき4年半の間、相浦駅から上佐世保駅まで軽便鉄道で通学されていました。

このときの模様や佐世保鉄道が国鉄に買収されていったいきさつなどを月刊誌「虹」1985年(昭和60年)10月号に「松浦線物語」として投稿され10ページばかりに渡って発表されました。

先生は大正13年生まれの今年85歳になられていますがお元気そのもので、定期的に高島へも診療に行かれたりしておられます。また郷土の歴史に精通されていて「相浦郷土史」の編集委員もされ、佐世保市の史談会のメンバーでもあります。

また、井手家の家系は4代前の先祖は「新吾太夫」といい、松浦藩の最後の武士といわれているとのことで、立派な鎧兜や刀剣なども保存されているものを見せていただきました。

さらに、井手家と初代佐世保鉄道の社長で創設者の中倉万次郎家とは親戚関係になるとのことです。

さらにまた、先生は旧制佐世保中学が佐世保市保立町から日宇町へ移転したため、相浦の自宅からの通学ができなくなって、最後の半年を寄宿したところが、万次郎翁終焉の地、佐世保市保立町14番地のとなりの川下家だったそうでこの軽便鉄道との奇縁を非常に懐かしく感じておられました。


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