2009年8月16日日曜日

山谷駅

<やまだに駅>



この駅は1991年(平成3年)に新設された、新しい駅です。

国道を伊万里から有田へ向かって自転車で走っていたら、道路からすぐ近くにあるのに、民家の陰になっているために見落としてしまいました。高校生の通学時間以外は利用者はあまりなさそうな駅に見えました。

2009年8月14日金曜日

大木駅

<おおぎ駅>

大木駅近辺は昔の宿場町のたたずまいをしています。
狭い旧街道に沿って古い町並みが続いていて、その中心になる公民館のところには、大木宿との看板があります。


唐津街道の宿場の一つでしょう。有田の焼き物を背中に背負って、伊万里まで運んでいた頃、その人たちが休憩に立ち寄ったことはあったでしょうが、宿泊まではしていなかったのではないでしょうか。有田ー伊万里間は十数キロの距離しかありません。当時の人の足なら1日30キロは稼いでいたでしょう。

<昔の宿場の中心地>


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2009年8月12日水曜日

西有田駅

<にしありた駅>

平成8年に新設された駅だから、新しく、しゃれた造りになっています。
合併して、有田町となったが、西有田町の頃町役場などの町の施設が近くに作られて、蔵宿に変わって町の中心となりました。
この町はアジアの国との交流を持つイベントを積極的に行ってきました。駅舎の国道側(下の写真)にはガラス越しにアジア各国の特徴ある民族小物が展示されています。

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2009年8月10日月曜日

蔵宿駅

<ぞうしゅく駅>






蔵宿駅は伊万里鉄道が開通した明治31年にできた駅です。

現在の駅舎は木造で白壁の落ち着いたたたずまいをしています。この建物の大部分を民間の会社が使用していて、無人駅です。

今は合併により、有田町にありますが、それまでは西有田町の中心地でした。





昭和40年に1度だけ蔵宿に行ったことがありました。それは、痔の手術のため入院している2~3年先輩教師を見舞いに行ったからです。

当時から蔵宿といったら肛門科・・・痔の手術と有名でした。写真の医院は、その後建て変わって、場所も移動していますが、当時の建物は駅のすぐ近くで、木造の普通の民家という感じでした。

畳の入院部屋には、数人が入りベッドはなく、夜だけ布団を敷いて寝るようになっていました。その頃でも珍しいものでした。後に赤ひげ診療所をテレビで見たとき思い出したくらいです。

部屋にはノートが紐でぶら下がっていて、退院して行った人たちの痔の苦しみや、手術後のことなど詳しく書いてあったのが思い出されます。

畳の部屋というのは、鍵もかからず出入りがしやすく、誰でも、あちこちの部屋を同病哀れむ、の気持ちででしょう、出歩いていました。

見舞いに行った若い先輩はその後すぐ結婚しました。馴れ初めを聞いたら、この病院で知り合った仲、とのことでした。

そして、これが本当の「尻合い結婚」だと言っていました。


最近は車でこの付近を通るとことが、多いけどその後の先輩夫婦の仲むつまじさと、この話を思い出します。

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2009年8月8日土曜日

黒川駅

くろごう駅





黒川と書いて「くろごう」とはなかなか読めません。地名、人名の読みは難しいですね。

写真機を構えていたら気動車がやってきたので撮りましたが、乗降者が全くありませんでした。

この駅は松浦鉄道で2番目に新しく、平成9年に新設されました。

近くには焼き物の窯元がたくさんあります。



<黒牟田(くろむた)地区窯元案内板>



<応法(おうぼう)地区窯元案内板>






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2009年8月6日木曜日

三代橋駅


<みだいばし駅>
有田駅から1.7キロにある最初の駅です。
第三セクターになって最初に作られた8駅の一つです。
平成8年に世界炎博覧会がこの有田(佐賀県)と長崎県の波佐見・三川内にまたがって行われました。このときのメイン会場が写真下の小高い丘の上にあるドームのある建物です。
博覧会の期間中は臨時の駅も作られましたが、今では記念館となっている会場には一番近い駅でしょう。
周りには焼き物の窯元があります。



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2009年8月4日火曜日

有田駅



<ありた駅>

1898年(明治31年)伊万里鉄道により有田ー伊万里間が陶磁器運搬のため開業しました。その後、国鉄となり、順次延伸され1944年(昭和19年)に肥前吉井駅で佐世保からの松浦線とつながりました。





有田といえば焼き物の町しかも高 級磁器の生産地ということでしょう。

私の小学校4~5年頃の国語の教科書に初代柿右衛門が苦労の末に赤い柿の色を作り出すのに成功した話がありました。それ以来私にとっては柿右衛門は特別な存在です。

駅の正面右側に白い大きな石が置いてあります。秀吉の朝鮮出兵のとき連れてこられた、陶工李参平が有田の泉山で発見した白磁の原料の陶石です。
有田の焼き物は江戸時代伊万里の港に運ばれVOC(オランダの東インド会社)などによってヨーロッパへもたらされたのは有名です。その頃のものを、「古伊万里」として今では大変な貴重品扱いになっています。当時は高価な大皿は人が背中に背負って伊万里までの道を運んだそうです。安物はまとめて荷車で運んだということですからかなりの差が感じられます。

<3番ホームの松浦鉄道>

陶磁器運搬のため建設された伊万里線ですから、現在もJR九州のコンテナターミナル駅として駅の裏側にはたくさんのコンテナが積まれています。しかし、この不景気でコンテナの数が以前より少なく感じたのは気のせいばかりではなさそうです。

駅の裏側から見た3番ホームにはコンテナの間に松浦鉄道の600系(松浦鉄道では最新鋭のもの)の気動車が伊万里から来て折返しを待っているところです。


1,2番ホームは佐世保線が使用していて写真のように電化されています。

有田焼を鉄道で伊万里の港へ運ぶことは現在は行われていません。トラック輸送か、輸出港が他へ移ったかしたのでしょう。


有田の町は5月の連休のとき、陶器祭りは大変な賑わいで普通には歩けないほどの人ごみになりますが、普段の町は静かなものです。最後に柿右衛門窯の柿の木のたたずまいと14代柿右衛門の手による濁し手の皿の写真をどうぞ。







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