2009年8月4日火曜日
有田駅
<ありた駅>
1898年(明治31年)伊万里鉄道により有田ー伊万里間が陶磁器運搬のため開業しました。その後、国鉄となり、順次延伸され1944年(昭和19年)に肥前吉井駅で佐世保からの松浦線とつながりました。
有田といえば焼き物の町しかも高 級磁器の生産地ということでしょう。
私の小学校4~5年頃の国語の教科書に初代柿右衛門が苦労の末に赤い柿の色を作り出すのに成功した話がありました。それ以来私にとっては柿右衛門は特別な存在です。
駅の正面右側に白い大きな石が置いてあります。秀吉の朝鮮出兵のとき連れてこられた、陶工李参平が有田の泉山で発見した白磁の原料の陶石です。
有田の焼き物は江戸時代伊万里の港に運ばれVOC(オランダの東インド会社)などによってヨーロッパへもたらされたのは有名です。その頃のものを、「古伊万里」として今では大変な貴重品扱いになっています。当時は高価な大皿は人が背中に背負って伊万里までの道を運んだそうです。安物はまとめて荷車で運んだということですからかなりの差が感じられます。
<3番ホームの松浦鉄道>
陶磁器運搬のため建設された伊万里線ですから、現在もJR九州のコンテナターミナル駅として駅の裏側にはたくさんのコンテナが積まれています。しかし、この不景気でコンテナの数が以前より少なく感じたのは気のせいばかりではなさそうです。
駅の裏側から見た3番ホームにはコンテナの間に松浦鉄道の600系(松浦鉄道では最新鋭のもの)の気動車が伊万里から来て折返しを待っているところです。
1,2番ホームは佐世保線が使用していて写真のように電化されています。
有田焼を鉄道で伊万里の港へ運ぶことは現在は行われていません。トラック輸送か、輸出港が他へ移ったかしたのでしょう。
有田の町は5月の連休のとき、陶器祭りは大変な賑わいで普通には歩けないほどの人ごみになりますが、普段の町は静かなものです。最後に柿右衛門窯の柿の木のたたずまいと14代柿右衛門の手による濁し手の皿の写真をどうぞ。
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