昭和63年(1988年)4月1日、松浦鉄道西九州線として発足しました。
佐賀県西松浦郡有田町から伊万里、平戸口、佐世保へと北松浦半島をほぼ一周していて、営業キロは93.8(支線が3路線あったのでそれを入れると100キロ以上)もあり、東海道本線では東京ー真鶴、中央本線では東京ー初狩(山梨県大月市)間に相当します。
石炭が重宝されていた頃は沿線は人口も多くて賑やかなものでした。しかし、石炭は石油に取って代わられ、文字通り火が消えたようにさびしい過疎地となりました。それでも親方日の丸の松浦線は走り続け、全国でも名だたる赤字路線となりました。
国鉄分割民営化の中、廃止路線となりました。すると便利な自家用車や路線バスばかりを利用していた人たちも廃止反対の運動を始めました。その頃の拙句
乗りもせず 残せと叫ぶ 赤字線
その甲斐あってか、地元の市町村の出資もあり第三セクターで運営されることになりました。社長はずっと佐世保市長です。
九州鉄道の伊万里線と佐世保軽便鉄道から始まり、国鉄松浦線となり分割民営化で九州旅客鉄道(JR九州)を経て現在の松浦鉄道(MR)となりました。そのこともあり現在の運行形態は大きく2系統になります。有田ー伊万里間と伊万里ー佐世保間です。有田から佐世保まで直行する列車はありません。
次回から、有田駅を出発して松浦鉄道沿線めぐりをはじめます。
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かなり面白いブログですね
返信削除じっくりと読ませていただきました
僕も佐々に住んでいて廃墟マニアなんです
だから炭坑時代の名残のコンクリートの塊を
見かけると思わず立ち止まってしまいます
ありがとうございました
返信削除今なら廃線跡を歩くことができるし
当時のことを話してくれる人がいるので
記録に残すことができました
これからのは現在の分ですから
自分の思い込みだけで書くことになります
よろしく