2009年11月14日土曜日

上相浦駅

<かみあいのうら駅>

この駅は軽便鉄道時代の駅名は使っているけど、場所はずいぶん移動しています。
国鉄移管後の昭和18年に現在地に作られています。田んぼの真ん中に上相浦駅は広い敷地を使い建てられました。当時近くに海軍基地があったからでしょう。
一時はこの駅に保線区もあったそうです。
  
(2枚目写真)の麓を相浦川が流れています。この川には今では珍しく飛び石があり現在もつかわれています。
(3枚目写真)のオジさんはいつも使っているそうです。
流されて新しく入れ替えたのもあるようですが、数百年は使用されているでしょうとこの人は言っていました。
石の上面はすり減って凸凹しているけど風格があります。流れに逆らわないように細長い断面になっていて
(4枚目写真)を見てもらえばわかるように、飛び石の下部には穴をあけそこに1本の丸太を通してあります。増水したときに流されないような工夫で江戸時代から定期的に補修されてきたそうです。
現在、相浦中心部はここより300メートルばかり下流になるのでそこには普通の橋が架かっています。
飛び石より500メートルばかり上流付近に高速道路のインターチェンジの工事が進められています。そのあたりの地名は「門前」と言います。数年前、工事に伴い掘り起こしたところから弥生時代の遺跡が見つかりました。
中でも木製の棺桶がほぼ完全な状態で見つかり話題になりました。
現在相浦の中心地にある「飯盛神社」と「洪徳寺」は昔は愛宕山の麓のこの辺りにあったので、門前という地名になったそうです。江戸時代に2度移転して現在地におさまったそうです。最初に移動したところの飛び石が今残っているもので、上流にもやはり飛び石が橋の代わりをしていたということです。

インターチェンジの名称は「門前」とはならずに中里となりそうです。

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