2009年9月26日土曜日

御厨駅

<みくりや駅>
昭和10年に志佐ー平戸口間が開通したとき、肥前御厨駅という名称で新設されました。
昭和63年に第3セクター松浦鉄道になったとき「御厨駅」となりました。


(上写真)ホームにはカンナとエンゼルトランペットが咲いていました。
カンナの花を見ると昔炭鉱住宅の長屋に咲いていた印象がとても強くその生き残りが咲いているという思いになります。
高校のとき、この駅で乗車するクラスメートが何人もいました。特に御厨の海岸線というか星鹿(ほしか)地区からの数人とは卒業後も付き合いが続きました。

中でも、奥野勝由君とは断続的に長い付き合いがありました。若い頃はマージャン仲間として、よく徹夜していました。その後、市会議員に立候補するようになってからは選挙のたびに応援に出かけていました。

落選と当選を繰り返し、連続当選を果たし、これからは安定した選挙が出来るとなった頃、奇病・難病にかかり還暦を迎えることもなく不帰の人となりました。

(下写真)は星鹿の城山(じょうやま)に出来たスロープ式の展望台、

奥野市会議員が最後に行った仕事です。難病にかかり車椅子で上るためのものかと思ったりしたけど、病気になる前に設計は出来ていたとのことでした。最後の選挙のとき地元への公約として展望台建設を掲げていました。彼の死後、何度か展望台に上って見たけど360度の眺望が出来、晴れた日には壱岐の島も見ることが出来るすばらしいところです。

<城山の展望台>




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